Life with a bit of c'laziness'

炭酸水を思わす、淡いガス抜きブログです☆ シュワシュワっと、毎日綴れたらいいな。

朝起きた時の首に痛みを改善したく、日々使用錯誤しているのだけれど、未だ「これだ!」という枕にはまだ出会えておらず。

夜な夜な理想の枕を求めてさまよう「枕ジプシー」と化している。

今トライしているのが、バスタオルを使った手作りのバスタオル枕。

毎晩、タオルの枚数や層、サイズなどをとっかえひっかえ微調整しながら、朝の寝起きの首の痛みで、「これもダメだった」と模索している。

手作りのバスタオル枕には、ある程度の硬さが必要らしく、玄関マットを使うと良いのだそう。

ただ、ミニマルな生活を目指し始める以前から、玄関マットは持っていないので、枕の材料として使いようがない。

わざわざ合うか合わないかわからない枕の人体実験のために、玄関マットを新たに購入するのにも抵抗がある。やってみて理想的な枕にならなかったら捨ててしまうことになると思うから無駄な出費となってしまう。

そんなわけで、臨時で今日は、保管していた夏のベッド用の敷きパッドを代用してみることにした。

これは、バスタオルよりも若干安定感がある(ように思える)

そして、完成した今夜のジプシーちゃん用の枕がこちら。
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これだけだとやはり硬さが足りないので、硬さを出すために、ちょっとカッコ悪いけれど、中に段ボール紙をはさんでみた。

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人生、見た目じゃないよ、寝心地だよ!

今夜こそ、安眠できますように。アーミン。










"Ego redigendum ergo sum."
~我減らす、故に我有り~

かの有名なデカルトの名言の一部をもじりました。

私流に訳せば、「減らしてこそ私」

いつかは、自分も、粉末状の灰のという小さな小さな、ミニマル存在となって、母なる地球上に存在し続ける。

そんなことを思う、雨の日の朝。






平成から令和に切り替わる前後の1か月くらい前から、少しずつ使っていない物を手放す生活を始めた。

今までとは違ったライフスタイルに切り替えた影響が、じわじわと潜在意識に影響を与えているのか、昨夜は妙にリアルな夢を見た。

それは、自宅が汚部屋と化して、暮らしが機能しなくなるという悪夢だ。


今現在、サクサク物減らしは進んでいて、少しずつではあるけれども、確実にものは減ってきているにもかかわらず、正反対のこんな夢を見るなんて。。。


汚部屋の悪夢が、私に伝えるメッセージは何だろう?

「所有物の取捨選択をめんどくさがると、部屋はあっという間に汚部屋と化すぞ!」

「よしよし、潜在意識で、汚部屋に対してこんなにも恐怖感を抱いていたんだね!」

「部屋はシンプル化していても、頭の中はとっちらかっているぞ!」

こんな単純な解釈で、よろしいでしょうか、ユング様、フロイト様?









「おからパウダー」を普段の食生活に取り入れ始めて1年ちょっと経過した。

おからには、Wikipediaによると、

豆乳を搾った後の残渣物だが、栄養的には優れている。一般分析値を見れば、乾物中の成分は粗蛋白質が約26%、粗脂肪は約13%、可溶無窒素物が約33%、粗繊維が約15%と栄養価が非常に高い。通常は水分を約75%から80%含む状態で流通している。含まれている粗脂肪(油分)の約50%は不飽和脂肪酸のリノール酸である。また、おからには脳の記憶力を高めるホスファチジルコリン(レシチンとも)が豊富に含まれている。記憶に関連した脳内物質としてアセチルコリンがある。アセチルコリンを作るにはコリンという物質が欠かせない。その前駆物質がホスファチジルコリンであり、ネズミにコリンを与えたところ、記憶力が良くなったという報告もある。

と記されている。なんだか、腸や体に良さそう。

また、DIETポストセブンのおからパウダーに関する記事には、

「元々、大豆由来のたんぱく質には、体内で作れない必須アミノ酸が豊富に含まれ、内臓脂肪や中性脂肪を減らす効果があります。その上、おからには、体内で生成される痩せホルモン、アディポネクチンを増やすβコングリシンが含まれています。つまり、内臓脂肪は減り、痩せホルモンは増える。痩せたい人には強力なお助け食材です」

との記載もあり、朝食のヨーグルトに混ぜて、欠かさず摂取するようになった。

そのせいか、あるいは他の要因もあるのか、不明だけれど、この1年間で約5キロの減量に成功した。

なんとも嬉しい話。

おからパウダーは、近くのスーパーでも売っているのけれど、少量で割高なので、アマゾンから取り寄せて定期的に買うようにしている。

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今日も一袋届いたので、早速夕食時に頂こう。

我が家では猫砂も、おからパウダー製のトイレに流せるタイプを使っているので、食から排泄至るまでおから様様生活なのだ。









昨今のコンマリブームの影響もあり、約1か月前くらいから、ミニマルな生活を目指す方向へと舵を切ったわけだけど、モノを減らす判断基準としてよく聞くのが、「ときめくかどうか」で判断するという点。

私がマイナー派なのかどうかは定かではないけれど、基本的に「物にときめく」という感覚が薄いように思う。

主に、物を手放す際には「日常的/定期的に使用しているか」という点や、「大きさ」「機能性」で残すかサヨナラするかを決めているように思うのだけれど、そこに「ときめき」の要素を入れているかと言えば、多分入れていない。

思うに、「ときめき」という感情は、人(特に好みの異性)に対して抱く感情で、物に対して感じることはおそか、人生の中でもそれほど頻繁に感じるものではないと思っている。

振り返ってみても、「ときめき」を感じた瞬間というのは片手で数えられる程しか起こっていない。

なので、断捨離の際に、物に対する「ときめき」をカウントするなんて自分的には不可能なわけで、自分としては、モノよりも、自分の中に自然発生的に沸き起こる生身の人へのときめきの方を大事にこれからも生きていきたいと思う。

というか、「ときめき」という言葉を、もっと大事にしたい。

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