Life with a bit of c'laziness'

炭酸水を思わす、淡いガス抜きブログです☆ シュワシュワっと、毎日綴れたらいいな。

うちにある予備の枕はもう手放してしまい、最近まで使っていた枕一つを残して、今、「バスタオル枕」への移行に試行錯誤中。

このバスタオルも、来客用に残しておいた最後の2枚で、残りのバスタオルは既に手放してしまった。

そして、この手製バスタオル枕は、意外にも手こずっていて、昨夜で四夜目の挑戦。

バスタオルを重ねて、ちょうど良い高さを模索して作るこの自家製枕だけれど、首があたる部分の高さの調節が非常に難しく、開始以来ずっと苦戦している。

初日は低すぎて、起きた時顔がむくんでいた。

その後少しずつ微調整を加えながらも、四夜目の昨夜は高すぎて、今、首周辺がとても痛い。

夜中に何度も目が覚めて、眠りが浅いせいか、にっちもさっちもいかない夢もたくさん見た。

タオルの層の重ね具合の微調整で心地よく眠れる枕を作っていくわけだけれど、一層一層がミリ単位の調整となるわけで、快眠というのは意外と難儀なんだなぁ、としみじみ実感。

今夜は、昨夜の教訓から1層減らして寝てみるけれど、さて、どんな寝心地となることやら。

いつか(近いうちに)ジャストフィットのバスタオル枕を完成させて、未だかつてない快眠を実現したい。





素敵な暮らしぶりをYouTubeで紹介されているrioko's livingさんの動画を何気なく観ていたら、とても懐かしい記憶の断片がよみがえってきた。

それは『ときめきトゥナイト』

多分、物心がついて初めて読んだ少女漫画だと思う。

江藤蘭世の超ロングヘアに憧れて、腰まで髪を伸ばすことを高校生の頃には実現したし、胡椒を嗅ぐとくしゃみが出るということを知ったのも『ときめきトゥナイト』で頻繁にそのシーンがあったから。

何においても、「初めて」という威力はすさまじく、少女漫画インプリンティングも然り。

蘭世の恋のお相手の真壁君は、当時小学生だった私の理想の男性像であり、そして数十年の時を経た未だに、よくよく考えてみると、私の理想のパートナーのタイプは、依然変わらず「真壁君」だ。

いつもクールで感情を表に出さない真壁君

もし、最初に接した少女漫画が違う作品だったら、私の理想の男性像は、全然違うものになっていたかもしれない。そう思うと、「最初に遭遇するもの」の大切さを、この歳になってしみじみと
実感する。

初めてが真壁君で良かった! 池野恋さん、ありがとう。


ときめきトゥナイト真壁俊の事情 (りぼんマスコットコミックス) [ 池野恋 ]
ときめきトゥナイト真壁俊の事情 (りぼんマスコットコミックス) [ 池野恋 ]


よく、脳内独り語りの中で、「言及する」という言葉を使ってしまう。

これは、英語のmentionだったり、スペイン語のdecirに近い訳語で、とても便利だけど、日本語で言うとちょっと(というかかなり)堅い。

「言う」だと、「発話している」印象を受けるので、例えばYouTubeの動画の中に、ちょっとした文章(カジュアルなもの)が文字で挿入されている場合に、「誰々さんがYouTubeで○○と言っていた」というのには微妙に違う。その情報自体は「文字で」読むわけだから。

かといって「YouTubeで書かれていた」というのも、ちょっと違う。YouTubeが基本、「動画」という概念が先行してしまうから。何か違和感を覚える。

あえて言うなら「触れる」が語感として近いのかな、とも思うけれど、ちょっとかしこまった感じだし、ポエティックに聞こえる。普段、家族や友人と話す時には「○○について触れる」なんて言わない。

「述べる」でもいいけれど、ますます堅くなる。

なので、結局、堂々巡りで「言及する」に行きついてしまい、脳内独り語りの中で多用している次第。

これだと、「発話で言っていた」のか、「文字で言っていた」のか、特に気にせずに使える。

「言う」と「書く」の要素が合わさった、2 in 1のミニマルな言葉だと思う。

これほど便利な言葉が、日本語の日常会話であまり一般的に使われていないのは何故だろう?

・・・「言及する」を、もっと身近な感じで使いたくて、日々歯がゆい思いをしているのは私だけだろうか?



普段、PC作業が中心の生活なので、どうしても肩周辺がカチカチにこってしまいがち。
 
首や肩をほぐしたい、肩の痛みを取りたい、と自分で揉んでみたり、ぐるぐる回してみたり。

 衝動的に「ぶらさがり健康器」が欲しい!と一日に思うこともしばしば。

 しかし、ゆるくミニマリストを目指しているからには、やっぱり大型のものを自宅に新たに買って増やすのにはかなりの抵抗がある。

 そこで思いついたのが、ウォーキングコースの途中にある遊具の「うんてい」。

20190509_174317

 毎日ウォーキングのついでに、うんていにぶら下がって、肩周辺のこりをほぐしてみることにした。 もちろん、1日1回、数十秒程度では効果は期待できないかもしれない。

   でも、「ゼロよりまし!」とも思う。 早速、今日のウォーキングで実行してみたら、案の定気持ちよくてスッキリした。

ただし、通行人の人たちの視線を浴びてしまったので、これからは「恥ずかしいという気持ち」も断捨離していかないといけないなあ、と。

日々是精進なのだ。
 
ちなみに、「うんてい」は、英語では"monkey bar"と言い、スペイン語では" barras de monos"というのだそう。

物を減らす時に、意識的か無意識か、ついつい口ずさんでしまう曲が

『ありがとう・さようなら』

昔、NHKのみんなのうたで流れていた歌で、未だに私の中で生きている。


Wikipediaによると、「福田和禾子(作曲)が「100年残る名曲を」という意気込みで作った楽曲」とあり、それだけのことあってか、30年以上の時を経ても私の中では健在だ。

合唱風のメロディーと、爽やかな歌声。

私が中井貴一が好きな原点はここかもしれない、とふと思う。

今日も、口ずさみながら物を手放すぞ!








日記〈2〉「鳳凰わが愛」中国滞在録

中井 貴一
キネマ旬報社
2007-11-01



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