Life with a bit of c'laziness'

炭酸水を思わす、淡いガス抜きブログです☆ シュワシュワっと、毎日綴れたらいいな。

2d0f881f6662b3b1ea9a057be83565ab_s

毎年秋になると、わけもなく気持ちが低空飛行になってしまう。


悲しいような、虚しいような、寂しいような、そんな気持ちで、いてもたってもいられなくなってしまう。


そのことに関しては、以前の記事華やかな色彩で季節性うつを乗り切る作戦にも書いたのだけれど、俗に言う「季節性のうつ」だと思っている。


生活に支障がない程度なので、軽度だとは思うのだけど、1年の中に気持ちが健やかでない時期があるのは、なんとも居心地の悪いこと。


私が秋にメランコリックな気持ちになるようになったのは、10代の終わりくらい。


季節の移り変わりがあまりない南の島の実家を離れ、四季の変化に富んだ地で、一人暮らしを始めて以降だ。


そして、それがどうやら季節性うつだと認識し出したのは、カナダのバンクーバーにワーキングホリデーで住んだ時。


カナダは北極圏に近いので、冬場の日照時間がとても短い。その上、冬季はほぼ毎日雨天というほど、とにかくよく雨が降る。


そんな時期にカナダ暮らしを始めてまもない頃、現地でSeasonal affective disorder (SAD) という言葉があることを知った。


なんとも物悲しい略称だけれど、このSAD(季節性情動障害)は、Royal College of Psychiatristsのサイトによると、





SADとは、秋から冬にかけて、きまって気分の落ち込みが見られる障害のことです。

SADはうつ病の一種で、秋または冬に抑うつが始まり、春や夏になると治まるという特有のサイクルを繰り返します。このため「反復性冬季うつ病」と呼ばれることもあります。


とのこと。

そして、この季節性うつの対策として、以下のことも書かれている。






・日照時間の短い時期にはできるだけ屋外に出て、日光に当たりましょう。
・普段から行なっている運動を続けましょう。よく日に当たれるよう、屋外で行なうのが最善です。
・家族や友人に相談して、理解と協力を得るようにしましょう。
・「クリスマスが過ぎれば日も長くなるし、春はもうすぐ」と自分に言い聞かせましょう。

下から2つは毎年ささやかながら、実行している。


なので、今年は、ミニマルライフ元年の勢いに乗ったこともあって、寝室のカーテンを無くすことで、日光を浴びる時間を少しでも増やしてみるという策を実行することにした。


ちょうど、2ヶ月ほど前、寝室にかかっていた厚手の遮光カーテンを窓から外し、2枚あったレースカーテンも1枚に減らしてみるという試み実行したのだ。
1570170683509
これは、秋うつ対策に、というよりも、洗濯が面倒だったり、部屋の重苦しさ軽減するために行った住まいのミニマル化の一環。


結果、部屋ずいぶんと明るくなって、清々しい気分で過ごせるようになった。


ただ、レースカーテン1枚だけだと、両サイド部分外から中の様子が見えてしまうので、そのサイドの部分にすりガラス風のフィルムを貼って、外から透け透け状態になることを防ぐことにした。
1570170705131

真ん中のガラス窓も、すりガラス風フィルムを貼ってしまおうかとも思ったのだけれど、この出窓は我が家の愛猫のお気に入りスポットで、ここからよく外を眺めているので、フィルムを貼ってしまっては可哀そうと思い、フィルム貼りは断念した。


さて、季節は移ろいで、最近昼間の暑さとは反比例して、めっきり日が暮れる時間が早くなってきた。


今年もおセンチな気分になるんだろうか、そんな不安な気持ちで秋の日々過ごしているのだけれど、今年に関しては、今のところ、いつものムーディーな絶望感に襲われる気配はない。


これはおそらく、寝室の窓から遮光カーテンを取り去り、レースカーテン1枚にしたことで、夜明けの日の光を惜しみなく浴びながら目覚めることが出来ているからではなかろうか、と思っている。


更に言えば、日中の日の照っている時間帯のウォーキングも、秋のおセンチの軽減に、少なからず貢献しているのかもしれない。


冬になって寒くなったら、さすがに極寒の寝室で寝るのはストレスフルなので、気温と相談して、今は外してまっている厚手のカーテンを再度取り付けて防寒するつもりだ。


だいたいクリスマスの時期くらいには、この秋鬱も抜けるのが通例なので、なんとか、それまでの間、この日の光を朝から目一杯浴びる作戦と日中ウォーキングで、快適な気持ちのまま苦手秋を乗り切れたら、とても嬉しい。







1570065622616
今朝、子ども部屋にあったウサギのぬいぐるみ手放すことにした。


このウサギは、6年ほど前に動物園の売店で買ってもらったもの。


中に手を入れて、パペットのようにして遊ぶことも出来る。


子どもが生まれると、自然と増えていくぬいぐるみたち。


自分の子ども時代を思い出しても、どこからかもらってきたぬいぐるみが、子ども部屋にたくさん並んでいた。自分でせがんだ記憶がないので、おそらく祖母や叔父・叔母などの親戚からのプレゼントだと思う。


ただ、埃まみれになるからという理由で、私の部屋のぬいぐるみたちは、常に透明のビニール袋に入れられていた。なので、触って遊んだ記憶はない。


今朝手放したウサギのぬいぐるみも、6年経った今でもまだ値札がついているほど放置されていたもので、このウサギが我が子の生活に浸透したり、馴染んでいたとは言い難い。


動物園で買ってもらった時は喜んだものの、それ以降は、きちんと飾られるわけでもなく、部屋の片隅のごちゃごちゃバスケットの中に何年間もうずもれて存在が消されてきた。


そういった、どこからかやってきたぬいぐるみたちが、我が子の部屋にはいくつもある。


手持ちのぬいぐるみの中で、子ども自身にせがまれて買ったものは一つもない。


私自身が買おうと思って買ったものも、一つもない。


つまり、私たち親子は、二人ともぬいぐるみに興味がないのだ。


子ども部屋に両手で数えられるくらい存在するこれらのぬいぐるみたちは、全て元夫や親せきが、子どもの誕生日やクリスマス、遊園地に行った際などに、どんどこどんどこ買い与えてきたもの。
1570074309627

(これでも、ぬいぐるみの数は、半分くらいにまで減らしてこの状態。)


我が子が特にぬいぐるみが好きというわけでもないに、部屋の一角がぬいぐるみたちで占拠されているというのが我が家の子ども部屋の現状。


こういったぬいぐるみたちは、かわいいので捨てづらい。


あまり劣化もしない。


なので、手放すのを躊躇してきた。捨ててしまうのは、やはり忍びない。


でも、部屋は狭いし、埃っぽくなるし、ダニの温床にもなるので、アレルギー持ちの我が子の居住空間には、やっぱり要らないのだ。


そういうわけで、秋の涼しく片付けに最適な季節へと突入を機に、子どもが誕生した時にもらった自分の名前の刺しゅう入りのぬいぐるみを一つだけ残して残りはサヨナラすることにした。


ただ、やっぱりどれも可愛らしく、真心のこもった贈り物なので、申し訳ない気持ちが沸き起こってしまう。


10個近くあるぬいぐるみたちを一気に捨てるのは、物減らしに慣れてきた私でも、良心の呵責を感じてしまう。


だって、にんげんだもの。


なので、分割して、1か月に一つずつのペースで手放していくことにした。


手放すには手放すのだけれど、ペースダウンすることで、罪の意識を軽減しようという作戦。


今回手放したウサギのパペットのぬいぐるみは、サヨナラする直前に、もらった場所や経緯など付随する思い出を子どもと一緒に語り合うことで、最後のお別れの儀式とすることにした。


そして、今月から毎月3日「ぬいぐるみを手放す日」と制定して、忘れないように、カレンダーに「ぬ」の文字を書き込んだ。
1570071740544

1570071756097


ウサちゃんをはじめ、全てのぬいぐるみのみんな、これまで、本当にありがとう。






0e7ce46af2920ad048c196e55afdcb07_s


先日、我が子のお金の使い道に関して、痛い経験をさせた方が良いかもしれない、と思う出来事があった。


我が家は、子どものお小遣いは、年俸制を取っている。


聴こえはかっこいいけれど、ようするに毎月お小遣いをいちいちあげるのが面倒くさいので、1年の初めに一度に与えてしまおう、という試み。


基本的に、1学年上がるにつれて100円を加算して、それに12か月分をかけた額を、1月に手渡している。


この年俸制は、親もラクだし、子どもは「やりくり」やお金を使う額や頻度などを、年ベースで自分で考えながら管理できるので、双方にとってメリットがあると思って実行している。


その他に、お盆休みに帰省した時に、実家から臨時でお小遣いをもらったりすることもあるので、我が子のお小遣いは、基本的には、私からもらう「年俸」と、その他の「臨時収入」が全てだ。


学年が上がるにつれて、放課後や休みの日にお友達と遊びに行くことも増え、ショッピングセンターに行ったり、一丁前にコメダ珈琲でお茶をしたり、子ども同士で映画館に行くようにもなってきた。


なので、我が子のお小遣い管理は、かなり日頃からしっかりやっていないと、年末に近づくにつれて足りなくなってしまうという危機と隣り合わせ。


さて、先日のこと。


我が子は、半年くらい前からコンパスというスマホ用のオンラインアクション対戦ゲームにハマっている。
title004
基本的に、朝起きてから夜寝るまで、学校に行っている時間と宿題をしている時間以外は、ずーっとコンパス漬けの状態が続いていた。


このゲームは、他のゲームアプリと同様に、課金することで、無料では味わえない楽しい体験ができる。


私は、このゲーム自体には詳しくないので、システムなどの詳細の説明は割愛するけれど、コンパスの場合は、バトルをサポートするカード引き当てるために、ガチャを引く必要があるとのこと。


このガチャは、ビットマネーを使って引くことができ、課金することでより多くのガチャが引けるのだそう。


このコンパスで、もっと楽しい体験がしたくて仕方がない我が子は、残り少なくなってきている自分のお小遣いの内なけなしの3,000円を使って、自らiTunesカードを買いに行った。(しかも、お店でSuicaで支払えないことが判明し、一度帰宅した後、もう一度現金を手にコンビニへと向かったほど。)


そして、期待いっぱいに3000円分のガチャを引きまくったところ。。。


自分の求めていたカードが1枚も出ることなく、ガチャは終了。


欲しいものが引けなかった落胆と、貴重な3000円を失ってしまったことのショックで、我が子は号泣。


リビングでコンパスをやっていたのだけれど、ショックがあまりにも大きすぎたようで、ふらふらと自分の部屋に行き、そのまま引きこもってしまい、その後2時間自室で大きな声で泣きじゃくっていた。


うちの子は、負けず嫌いなので、だいたい泣く時というのは90%悔し泣きだ。


今回の場合もその典型で、親としては、「残念だったね」と言って慰めるしか術がない。


そして、思う存分泣き終わったところで、今回の一件の感想を聞いてみたところ、かなり精神的に応えたようで、ゲーム課金がトラウマになってしまったような印象。


なので、親として、こんなアドバイスをしてみた。


「自分のお小遣いなので、自分で使い道や使う機会を決めたらいいけれど、お金を使った後に悲しかったり悔しい思いをする可能性が高いものへの出費に関しては、よくよく考えてから決めた方がいいよ。」



普段は反抗的な態度に出る我が子も、生々しい心の傷を負ったばかりなので、いつもとは違って神妙かつ素直に、私のアドバイスに耳を傾けてくれた。


今回の出来事は、子どもが自分でお金を使う際には、慎重になる必要があることを身をもって体験させてくれ、学ぶことが出来た機会なったことは間違いない。


3000円という損失は大きいけれど、時には2時間も号泣してしまうほどの強い後悔の念を抱かせないと、子どもはもちろん、良い歳した大人も、浪費に関して切実に学んでいくことは出来ないのではなかろうか。


転ばぬ先の杖でお金の管理が出来るのがベストだけれど、小学生の子どもには、まだその習慣は身についていない。お金も、自分で苦労して稼ぐのではなく、親や祖父母、周りの人が何もしなくてもくれるものという世界で生きているので、その大切さを実感できていない。


今回どぶに捨てたも同然の3000円が、最初で最後の良いレッスンになってくれていれば幸いだと思っている。


我が子には、是非、「自分を幸せにするお金の使い方」というものを、これを機に学んでいって欲しい。





約半年前から、細々と、自宅の所有品を減らしてきたのだけれど、昨日、これまでの手放し品の中でも最大の大きさのものを手放した。


それは、90㎝×86㎝のタンス。
1569915670010
10年くらい前に、どこかで購入して以来、ずっと寝室に置いてきた。


服はこの半年で、かなり減らしたので、スカスカになってきたこのタンスとも、そろそろサヨナラしたいな、と思っていた。


思い立ったらすぐ実行、がモットーの私。


衣替えの時期ということと、昨日たまたま暇だったこともあり、タンスの中の服を全部出して、別の場所に移動させ、ざざっと表面や引き出しの中を拭いて、これまで何度か利用してきたジモティーに出品。
ジモティー
このタンスは、引っ越しの際に出来てしまった傷などもあり、正直引き取り手が現れるかどうか不安ではあったものの、さすがはジモティー。


掲載後すぐに引き取りを希望する人たちから、問い合わせのメッセージがバババッと来た。


そして、今日中に引き取ってくれるという人が現れたので、その方に無料で引き取ってもらうことにした。


このタンスには、細かい傷が複数あったので、それがクレームにならないか、ちょっと心配ではあったことも、今回無料にした理由。
1569915693397
でも、傷の件も説明して、「大丈夫」との了承を得たので、さっそく引き取りのお願いをすることにした。


そして、ジモティーへのタンスの掲載からわずか2時間半で、無事引き渡しが完了。


これまで5~6回ジモティを利用して、本棚やトレーニング機器を手放してきたけれど、毎回本当に素早く引き取り先へと引き渡しが完了するので、改めてビックリだ。


ちなみに今回は、何故か、無料で引き取ってもらったはずなのに、なんと引き取ってくださった方が1000円くださって、またまたビックリ。


これまで、ジュース1本程度は頂くことはあったのだけれど、粗大ごみを引き取ってくださっただけでなく、1000円も頂戴することになるなんて、ますますジモティーの愛用者になってしまいそうだ。


手放したい大型家具は、まだまだあるので、今後も頑張って、自宅の所有物整理&アリサヨ活動に勤しんでいきたい。





man-holding-white-business-card-260nw-313679270
私がフリーランスに転向して、9月末でちょうど2年と6か月が経過した。


フリーランスになってすぐにやったことと言えば、個人事業主の届け出名刺作りだった。


個人事業主の届け出は、フリーランスとして働くには必須だったけれど、一方で名刺作りはどうだったのかというと、よくわからない。


フリーに転向してから、名刺交換をした回数というのは片手で数えられる回数。


私の場合、フリーランスに転向する前に、いくつかの企業などと業務委託契約を結んだり、ランサーズやクラウドワークスなどを経由して仕事の依頼を受けたりすることが多く、クライアントさんと直接対面しないで、メールやチャット、スカイプなどのやり取りで仕事を開始していくことが多い。


そのため、名刺は、フリーランスになったばかりの頃に想像していたほどは、実際には活用していないのが実情だ。


そして、今年の4月頃から始め所持品の量減らし活動の一環で、ほとんど日の目を見ないこの名刺とも向き合うことになった。


名刺を最後に使ったのがいつだったか、と思い返してみると、最後の名刺交換から少なくとも1年3ヶ月が経過していた。


つまり、名刺はほぼ不要な状態で、今現在暮らしているということになる。


物を手放す勢いがあった頃の話なので、ほぼ不要ならば、ということで、なんの躊躇もなく作成した90枚くらいの名刺と名刺入れを処分してしまった。


さて、先週の土曜日のこと、自分の事業を立ち上げたばかりの新米事業主さんが、近い将来の仕事の打診も兼ねて、遠方からわざわざ私に会いに来られる機会が出来た。


これまでチャットや電話等でコミュニケーションは取っていたとはいえ、face to faceの対面は今回が初めてとなる。


しかも、今後新規の仕事の依頼を頂くかもしれないという重要な面談だ。


そしてその面談が決まった際に私の脳裏に浮かんだのは、捨て去ってしまった名刺のことだった。


「1枚くらい取っておけばよかったかな。。。」


後悔先に立たずというのは、世界中で語り継がれる不変の真理を表すことわざ。


今回の対面を名刺無しで、潔く乗り切るか、あるいは今回のために直前で新しく作ろうか、限られた時間の中で堂々巡りでいろいろ考えた。


そして、これまで1年半名刺の出番がなかったことや、今後もきっと、低頻度でしか名刺は使用しないだろう、と推測した結果、今回の面談のたった1枚のために、今作り直すのは無駄な出費となってしまうかもしれないと思ったので、今回は名刺無しで面談に臨むことにした。


そして、迎えた対面の時。
MKJ_ryoutedemeishiwowatasu_TP_V

当然、先方は最初の挨拶時に、名刺を手渡してこられたのだけれど、私の方は、頂いた名刺に書かれた情報からうまく話題を広げることで、こちらの名刺を出さぬまま、仕事に関する本題に入ることが出来た。


そして、話の中盤辺りで、「実は、名刺は、断捨離してしまいまして。。。」とことのいきさつを正直に告白。


名刺がなくとも、普段の仕事に支障が無い現状などを告げて、先方にもなんとか不自然に思われないような印象を残すことが出来た。(と思う。)


そうして、無事、名刺無しで初顔合わせを終わらせることが出来た。


今回の場合は、私の1事例の話なので、全てのフリーランスに当てはまるかどうかはわからない。けれど、事前にメールやチャット、スカイプや電話等で連絡手段やコンタクト先を既にわかっている状況においては、名刺は特に対面時に必要不可欠なものではないように思った。


今後も、おそらく誰かに名刺を差し出される機会は、多くない頻度であるかと思うのだけれど、上記のような状況で、少ない物で効率重視で暮らしている旨を誠心誠意伝えれば、案外大丈夫なのではないかと思っている。


フリーランスにも、様々な職種の人がいるので、対面式の営業をがっつりやって、名刺をしっかり相手に渡しておく必要があるケースももちろんあると思う。


しかしそこは、ケースバイケース。私は私。


更に言えば、インターネットの利便性がこれだけ普及し、今後も今以上に普及・浸透していくことを想定すると、名刺はもはや「マストアイテム」ではない、と今回の面談の後で、改めて感じた。


私自身、名刺の有る無しよりも、話の内容の良し悪しで、仕事の依頼を決断してくれるビジネスパーソンとの方が、相性が良いと思うので、そういった方々と一緒にクオリティの高い仕事をして、相互信頼関係も高めていければと思っている。


結果として、名刺は手放してしまって支障はなかった、というのが、n=1の私の今回の出した答え。


初対面の名刺の有る無しは、お互いの価値観のすり合わせという点で、リトマス試験紙のような役割を果たすのだと思う。





↑このページのトップヘ