Life with a bit of c'laziness'

炭酸水を思わす、淡いガス抜きブログです☆ シュワシュワっと、毎日綴れたらいいな。

カテゴリ: ミニマリズム

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先週末の猛烈台風の襲来と、それに重なるようにして来た長時間の集中力を要する仕事の依頼のダブルパンチで、昨日までの3日間、睡眠と食事の時間以外はずっと家にこもりきりで、仕事三昧の日々を送っていた。


台風が去り、仕事も無事完了したところで、ふと我に返り、周りを見渡してみると、週末をはさんでずいぶんと状況や心境が変わってしまっている。


まずは、想像以上の台風の被害。


前回の台風15号通過の際にも、千葉県を中心に甚大な被害が出たけれど、今回の台風の被災エリアは広大で、被害も数日で回復できるようなものではない状況だ。


3日間集中しまくって仕事を終えたばかりなので、自分自身も燃え尽き症候群のような症状で疲れ切ってしまっていることもあって、脳が正常に機能していないような感覚を覚える。


ブログを書こうにも、気持ちがブログへと向かわない。


そして、ハタと気づいた。


10月は神無月じゃないか!


神無月は、読んで字のごとく「神様がいない月」。


「神無月」の言葉の由来は、暮らしの歳時記というサイトには下記のように書かれている




10月は全国の八百万の神様が、一部の留守神様を残して出雲大社(島根県出雲市)へ会議に出かけてしまうと考えられてきました。
その為、神様が出かけてしまう国では神様がいないので「神無月」、反対に出雲の国(島根県)では神様がたくさんいらっしゃるので「神在月」というわけです。

 

ブロガーではない私は、ブログを、インターネットの中に神様に、日ごろの感謝の意や、商売繁盛祈願をするために記事を奉納する場という風に考えている。


なので、奉納の舞として、可能な限り頻繁に記事のを投稿することで、この神事を細々と執り行ってきたわけだけれども、ここにきて、ふと、「神様、今不在じゃないか」ということに気づいてしまった。


なので、せっかくの奉納も、神様に届いていないような気がして、急遽今月は、私自身も「記事無月」にすることにした。


これは半分言い訳のようなもので、本当は「忙しさ」「休みたさ」の両方の要素を抱えてる上に、テレビやインターネットを通じて目にする台風の生々しい傷跡や痛々しい被災地の惨状に、少なからずメンタルをやられてしまっていているから、というのが理由でもある。


自分自身が元気でないと、奉納の舞も、腐った力のないものとなってしまう。それではやる意味もない。


そんな状況を素直に受け入れて、10月の後半は、ブログの投稿をお休みしようと思っている。


神様たちもきっと、出雲の国でへべれけだし、私も、温泉に浸かったり、部屋の片づけなどをしたり、愛猫とまったりしたり、普段あまりできていない読書に時間を当てたりして、自分の隙間時間をブログ以外のことに使ってみようと思う。


11月は、「霜月」の他にも「神楽月(かぐらづき)」とも呼ばれるらしい。


神様が楽しめるよう、10月はしっかり休んで充電して、台風ショックから少しでも回復し、神楽月には心身ともにフレッシュスタートしたい。







自宅の物減らし活動を始めて、早半年。


じっくり、ゆっくり、物との別れを惜しみながら手放してきているので、変化は微細ではあるけれど、確実に家屋全体の物は減ってきている。


そんな中、あえて減らしては来なかったものがあった。


それが食卓で使っている箸。


我が家は二人所帯だけれど、なぜか箸は6膳もある。


しかも、全部バラバラ。


理由は、単に私がズボラで、食器洗いを1日に2回くらいしかしないことが多いので、毎食事、きれいに洗われた&乾いた箸が準備されていない場合があるから。


なので、仮に食器洗いを1日とかサボってしまっても、少なくとも箸の心配はしなくても良い、という状況を作っていた。


それと、箸はよくプレゼントされるということも、6膳もあった理由であり、バラバラな理由でもある。


人からちょっとした旅行のお土産にもらったり、誕生日などの贈り物としてもらったり、と、真心こもった頂き物の場合が多いので、かさばらない分、そのまま残して使っていた。


ただ、全種類バラバラなので、食事の時に、同じ種類を見つけ出すのが一苦労。


けっこうな頻度で、種類(長さ&柄)の異なる箸でご飯を食べてしまうこともあった。


一方で、キッチンで使う箸は、以前は菜箸(紐のついた長めのもの)を常備していたのだけれど、どうも使いづらく、物減らし活動の初期の頃に手放してしまった。


それ以来、先の方がギザビザになっているラーメン箸を菜箸の代わりに使ってきたわけだけれど、先日夜食にラーメンを作った時に、ふと閃いた。


このまま、食卓の箸もキッチンで使う箸も、全部ラーメン箸でいけないだろうか・・・?


というのも、菜箸代わりに使っていたラーメン箸は、全部で3膳あり、持て余していた。
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一方で、食卓で使う箸は、最低2膳あれば、食事は出来る。


これまでは、洗った箸と菜箸を分けてそれぞれの場所にしまっていたけれど、全部ラーメン箸で統一してしまえば、その仕分の面倒が省ける。


3セット、色が違うだけで、長さも形も太さも一緒なので、色の違いさえ気にしなければ、組み合わせを間違えることが絶対にないので、迷いがない分早くに食事に取りかかることも出来る。


そして、何より、ラーメンをはじめ、麺類を食べる時も、先がギザギザなので、安定感をもってつかみ取ることが出来る。


「大は小を兼ねる」というけれど、「ラーメン箸は、菜箸や食卓の箸をも兼ねる」ということに、今更ながら気づいてしまった。


そして、善は急げ、という具合に、さっそく今まで使っていた6セットのバラバラ箸群は、「とりあえずボックス」に移動して、ラーメン箸オンリーの生活を始めることにした。


食器洗いがいくら面倒でも、箸だけは特別扱いをすることにして、食後にササっと洗うよう心掛けようと思う。


ささいな試みだけれど、軽くなった心は計り知れない。


そんな物減らし活動が一歩進んだ、秋の日の朝。


このプチミニマル化計画が、凶と出るか吉と出るか。





昨日は、朝の6時半ごろからボリュームの大きい仕事に取りかかって、かなりテンパった状態で午前中を過ごした。


その頑張りが功を奏したようで、お昼ごろには、予定通り無事終えることが出来、一安心。


この日はちょうど、我が子がお友達と夕方まで遊びに行くと言って留守にしていたので、せっかく朝に入った「やる気スイッチ」をそのまま生かした状態で、前々からずっと決行したかった、子ども部屋のプチ改造を勢いに乗って決行することにした。


使ったアイテムは、この日のために秘かに用意しておいた、新品の突っ張り棒と、洗濯ばさみ付きのハンガー
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これを使って、今後は、たたんでしまう衣類の保管法ではなく、ハンガーに吊るして保管する方法に移行しようという試みだ。


親の私ですら、まだ完全にハンガー収納に移行し切れていないというのに、我が子を先に優先させたのにはワケがある。


うちの子、衣類をしまう際に、ぐちゃっとタンスの引き出しに押し込むくせがある。しかも、どの引き出しには何をしまうかということを考えずに、ランダムにどんどん上から押し込むから、はっきり言ってカオス


これは、プチ改造前のベッド周辺の様子。乱れた衣服が引き出しから溢れて、はみ出している。
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中に何が入っているかわからず、上も下も、もろもろが全てぐちゃぐちゃな状態だ。


そこで今回は一念発起。


このタンスを思い切って取っ払って、これまでほぼ開かずのクローゼット状態だった、収納スペースに、新たに突っ張り棒を設置して、そこに季節の衣類をかけて管理させる方式に切り替えることにした。


ビフォー] これが、悲惨なクローゼット。
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ごちゃごちゃと雑多に物が入れられているだけ、という惨状。


私も、これまであえて、手も口も出してこなかったので、好き放題状態になってしまっていた。


というわけで、さっそくクローゼットの中身を取り出して、一つ一つを整理する作業から始めた。
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その時の様子が、こんな状態。惨状と言わずに何と言おう。


いわゆる、よく目/耳にする「汚部屋」というものに近い。


埃もすごく、掃除機を駆使しながら、整理整頓・取捨選択作業を進めた。


そして、2時間後、我が子のお部屋はすっかり生まれ変わった!
(『劇的ビフォーアフター』の曲が脳内に流れる♪)

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[アフター]ベッド周辺は、みちがえるように、すっきりと片付いた。


必要なものが美しく整頓され、置かれている状態。


そして、見苦しかった魔のクローゼットも、
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こんなにスッキリと生まれ変わった。


右側に半袖とコーディネート済みのボトムス、左側に、長袖の秋服をかけて、真ん中のバスケットには、靴下や下着、ハンカチ類を収納。


整理しながら、量もかなり減らしたので、ゴミ袋1袋分の不要なアイテムが出た。


クローゼットの下の段には、冬物衣料や、夏物など、季節外の衣服類を収納。来年はもう着られそうにないサイズ感やデザインのものは、抜き取った。


こうして、無事2時間にも及ぶ試行錯誤+埃まみれの子ども部屋プチ改造が終了し、我が子も帰宅。


さっそく部屋を見せたところ、とても感激して喜ぶ姿が嬉しかった。


頑張ったかいがあった!


我が子の一足早い「服のハンガー管理」に触発されて、私も早いところ衣類の収納をハンガー管理に完全移行したい。


仕事で入ったやる気モードを、自宅の整理整頓やプチ改造に活かせたのは本当に幸いだった。


これを機に、何か運気が変わって、良いご褒美が舞い込んでくるといいな♪








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毎年秋になると、わけもなく気持ちが低空飛行になってしまう。


悲しいような、虚しいような、寂しいような、そんな気持ちで、いてもたってもいられなくなってしまう。


そのことに関しては、以前の記事華やかな色彩で季節性うつを乗り切る作戦にも書いたのだけれど、俗に言う「季節性のうつ」だと思っている。


生活に支障がない程度なので、軽度だとは思うのだけど、1年の中に気持ちが健やかでない時期があるのは、なんとも居心地の悪いこと。


私が秋にメランコリックな気持ちになるようになったのは、10代の終わりくらい。


季節の移り変わりがあまりない南の島の実家を離れ、四季の変化に富んだ地で、一人暮らしを始めて以降だ。


そして、それがどうやら季節性うつだと認識し出したのは、カナダのバンクーバーにワーキングホリデーで住んだ時。


カナダは北極圏に近いので、冬場の日照時間がとても短い。その上、冬季はほぼ毎日雨天というほど、とにかくよく雨が降る。


そんな時期にカナダ暮らしを始めてまもない頃、現地でSeasonal affective disorder (SAD) という言葉があることを知った。


なんとも物悲しい略称だけれど、このSAD(季節性情動障害)は、Royal College of Psychiatristsのサイトによると、





SADとは、秋から冬にかけて、きまって気分の落ち込みが見られる障害のことです。

SADはうつ病の一種で、秋または冬に抑うつが始まり、春や夏になると治まるという特有のサイクルを繰り返します。このため「反復性冬季うつ病」と呼ばれることもあります。


とのこと。

そして、この季節性うつの対策として、以下のことも書かれている。






・日照時間の短い時期にはできるだけ屋外に出て、日光に当たりましょう。
・普段から行なっている運動を続けましょう。よく日に当たれるよう、屋外で行なうのが最善です。
・家族や友人に相談して、理解と協力を得るようにしましょう。
・「クリスマスが過ぎれば日も長くなるし、春はもうすぐ」と自分に言い聞かせましょう。

下から2つは毎年ささやかながら、実行している。


なので、今年は、ミニマルライフ元年の勢いに乗ったこともあって、寝室のカーテンを無くすことで、日光を浴びる時間を少しでも増やしてみるという策を実行することにした。


ちょうど、2ヶ月ほど前、寝室にかかっていた厚手の遮光カーテンを窓から外し、2枚あったレースカーテンも1枚に減らしてみるという試み実行したのだ。
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これは、秋うつ対策に、というよりも、洗濯が面倒だったり、部屋の重苦しさ軽減するために行った住まいのミニマル化の一環。


結果、部屋ずいぶんと明るくなって、清々しい気分で過ごせるようになった。


ただ、レースカーテン1枚だけだと、両サイド部分外から中の様子が見えてしまうので、そのサイドの部分にすりガラス風のフィルムを貼って、外から透け透け状態になることを防ぐことにした。
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真ん中のガラス窓も、すりガラス風フィルムを貼ってしまおうかとも思ったのだけれど、この出窓は我が家の愛猫のお気に入りスポットで、ここからよく外を眺めているので、フィルムを貼ってしまっては可哀そうと思い、フィルム貼りは断念した。


さて、季節は移ろいで、最近昼間の暑さとは反比例して、めっきり日が暮れる時間が早くなってきた。


今年もおセンチな気分になるんだろうか、そんな不安な気持ちで秋の日々過ごしているのだけれど、今年に関しては、今のところ、いつものムーディーな絶望感に襲われる気配はない。


これはおそらく、寝室の窓から遮光カーテンを取り去り、レースカーテン1枚にしたことで、夜明けの日の光を惜しみなく浴びながら目覚めることが出来ているからではなかろうか、と思っている。


更に言えば、日中の日の照っている時間帯のウォーキングも、秋のおセンチの軽減に、少なからず貢献しているのかもしれない。


冬になって寒くなったら、さすがに極寒の寝室で寝るのはストレスフルなので、気温と相談して、今は外してまっている厚手のカーテンを再度取り付けて防寒するつもりだ。


だいたいクリスマスの時期くらいには、この秋鬱も抜けるのが通例なので、なんとか、それまでの間、この日の光を朝から目一杯浴びる作戦と日中ウォーキングで、快適な気持ちのまま苦手秋を乗り切れたら、とても嬉しい。







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今朝、子ども部屋にあったウサギのぬいぐるみ手放すことにした。


このウサギは、6年ほど前に動物園の売店で買ってもらったもの。


中に手を入れて、パペットのようにして遊ぶことも出来る。


子どもが生まれると、自然と増えていくぬいぐるみたち。


自分の子ども時代を思い出しても、どこからかもらってきたぬいぐるみが、子ども部屋にたくさん並んでいた。自分でせがんだ記憶がないので、おそらく祖母や叔父・叔母などの親戚からのプレゼントだと思う。


ただ、埃まみれになるからという理由で、私の部屋のぬいぐるみたちは、常に透明のビニール袋に入れられていた。なので、触って遊んだ記憶はない。


今朝手放したウサギのぬいぐるみも、6年経った今でもまだ値札がついているほど放置されていたもので、このウサギが我が子の生活に浸透したり、馴染んでいたとは言い難い。


動物園で買ってもらった時は喜んだものの、それ以降は、きちんと飾られるわけでもなく、部屋の片隅のごちゃごちゃバスケットの中に何年間もうずもれて存在が消されてきた。


そういった、どこからかやってきたぬいぐるみたちが、我が子の部屋にはいくつもある。


手持ちのぬいぐるみの中で、子ども自身にせがまれて買ったものは一つもない。


私自身が買おうと思って買ったものも、一つもない。


つまり、私たち親子は、二人ともぬいぐるみに興味がないのだ。


子ども部屋に両手で数えられるくらい存在するこれらのぬいぐるみたちは、全て元夫や親せきが、子どもの誕生日やクリスマス、遊園地に行った際などに、どんどこどんどこ買い与えてきたもの。
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(これでも、ぬいぐるみの数は、半分くらいにまで減らしてこの状態。)


我が子が特にぬいぐるみが好きというわけでもないに、部屋の一角がぬいぐるみたちで占拠されているというのが我が家の子ども部屋の現状。


こういったぬいぐるみたちは、かわいいので捨てづらい。


あまり劣化もしない。


なので、手放すのを躊躇してきた。捨ててしまうのは、やはり忍びない。


でも、部屋は狭いし、埃っぽくなるし、ダニの温床にもなるので、アレルギー持ちの我が子の居住空間には、やっぱり要らないのだ。


そういうわけで、秋の涼しく片付けに最適な季節へと突入を機に、子どもが誕生した時にもらった自分の名前の刺しゅう入りのぬいぐるみを一つだけ残して残りはサヨナラすることにした。


ただ、やっぱりどれも可愛らしく、真心のこもった贈り物なので、申し訳ない気持ちが沸き起こってしまう。


10個近くあるぬいぐるみたちを一気に捨てるのは、物減らしに慣れてきた私でも、良心の呵責を感じてしまう。


だって、にんげんだもの。


なので、分割して、1か月に一つずつのペースで手放していくことにした。


手放すには手放すのだけれど、ペースダウンすることで、罪の意識を軽減しようという作戦。


今回手放したウサギのパペットのぬいぐるみは、サヨナラする直前に、もらった場所や経緯など付随する思い出を子どもと一緒に語り合うことで、最後のお別れの儀式とすることにした。


そして、今月から毎月3日「ぬいぐるみを手放す日」と制定して、忘れないように、カレンダーに「ぬ」の文字を書き込んだ。
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ウサちゃんをはじめ、全てのぬいぐるみのみんな、これまで、本当にありがとう。






約半年前から、細々と、自宅の所有品を減らしてきたのだけれど、昨日、これまでの手放し品の中でも最大の大きさのものを手放した。


それは、90㎝×86㎝のタンス。
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10年くらい前に、どこかで購入して以来、ずっと寝室に置いてきた。


服はこの半年で、かなり減らしたので、スカスカになってきたこのタンスとも、そろそろサヨナラしたいな、と思っていた。


思い立ったらすぐ実行、がモットーの私。


衣替えの時期ということと、昨日たまたま暇だったこともあり、タンスの中の服を全部出して、別の場所に移動させ、ざざっと表面や引き出しの中を拭いて、これまで何度か利用してきたジモティーに出品。
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このタンスは、引っ越しの際に出来てしまった傷などもあり、正直引き取り手が現れるかどうか不安ではあったものの、さすがはジモティー。


掲載後すぐに引き取りを希望する人たちから、問い合わせのメッセージがバババッと来た。


そして、今日中に引き取ってくれるという人が現れたので、その方に無料で引き取ってもらうことにした。


このタンスには、細かい傷が複数あったので、それがクレームにならないか、ちょっと心配ではあったことも、今回無料にした理由。
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でも、傷の件も説明して、「大丈夫」との了承を得たので、さっそく引き取りのお願いをすることにした。


そして、ジモティーへのタンスの掲載からわずか2時間半で、無事引き渡しが完了。


これまで5~6回ジモティを利用して、本棚やトレーニング機器を手放してきたけれど、毎回本当に素早く引き取り先へと引き渡しが完了するので、改めてビックリだ。


ちなみに今回は、何故か、無料で引き取ってもらったはずなのに、なんと引き取ってくださった方が1000円くださって、またまたビックリ。


これまで、ジュース1本程度は頂くことはあったのだけれど、粗大ごみを引き取ってくださっただけでなく、1000円も頂戴することになるなんて、ますますジモティーの愛用者になってしまいそうだ。


手放したい大型家具は、まだまだあるので、今後も頑張って、自宅の所有物整理&アリサヨ活動に勤しんでいきたい。





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私がフリーランスに転向して、9月末でちょうど2年と6か月が経過した。


フリーランスになってすぐにやったことと言えば、個人事業主の届け出名刺作りだった。


個人事業主の届け出は、フリーランスとして働くには必須だったけれど、一方で名刺作りはどうだったのかというと、よくわからない。


フリーに転向してから、名刺交換をした回数というのは片手で数えられる回数。


私の場合、フリーランスに転向する前に、いくつかの企業などと業務委託契約を結んだり、ランサーズやクラウドワークスなどを経由して仕事の依頼を受けたりすることが多く、クライアントさんと直接対面しないで、メールやチャット、スカイプなどのやり取りで仕事を開始していくことが多い。


そのため、名刺は、フリーランスになったばかりの頃に想像していたほどは、実際には活用していないのが実情だ。


そして、今年の4月頃から始め所持品の量減らし活動の一環で、ほとんど日の目を見ないこの名刺とも向き合うことになった。


名刺を最後に使ったのがいつだったか、と思い返してみると、最後の名刺交換から少なくとも1年3ヶ月が経過していた。


つまり、名刺はほぼ不要な状態で、今現在暮らしているということになる。


物を手放す勢いがあった頃の話なので、ほぼ不要ならば、ということで、なんの躊躇もなく作成した90枚くらいの名刺と名刺入れを処分してしまった。


さて、先週の土曜日のこと、自分の事業を立ち上げたばかりの新米事業主さんが、近い将来の仕事の打診も兼ねて、遠方からわざわざ私に会いに来られる機会が出来た。


これまでチャットや電話等でコミュニケーションは取っていたとはいえ、face to faceの対面は今回が初めてとなる。


しかも、今後新規の仕事の依頼を頂くかもしれないという重要な面談だ。


そしてその面談が決まった際に私の脳裏に浮かんだのは、捨て去ってしまった名刺のことだった。


「1枚くらい取っておけばよかったかな。。。」


後悔先に立たずというのは、世界中で語り継がれる不変の真理を表すことわざ。


今回の対面を名刺無しで、潔く乗り切るか、あるいは今回のために直前で新しく作ろうか、限られた時間の中で堂々巡りでいろいろ考えた。


そして、これまで1年半名刺の出番がなかったことや、今後もきっと、低頻度でしか名刺は使用しないだろう、と推測した結果、今回の面談のたった1枚のために、今作り直すのは無駄な出費となってしまうかもしれないと思ったので、今回は名刺無しで面談に臨むことにした。


そして、迎えた対面の時。
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当然、先方は最初の挨拶時に、名刺を手渡してこられたのだけれど、私の方は、頂いた名刺に書かれた情報からうまく話題を広げることで、こちらの名刺を出さぬまま、仕事に関する本題に入ることが出来た。


そして、話の中盤辺りで、「実は、名刺は、断捨離してしまいまして。。。」とことのいきさつを正直に告白。


名刺がなくとも、普段の仕事に支障が無い現状などを告げて、先方にもなんとか不自然に思われないような印象を残すことが出来た。(と思う。)


そうして、無事、名刺無しで初顔合わせを終わらせることが出来た。


今回の場合は、私の1事例の話なので、全てのフリーランスに当てはまるかどうかはわからない。けれど、事前にメールやチャット、スカイプや電話等で連絡手段やコンタクト先を既にわかっている状況においては、名刺は特に対面時に必要不可欠なものではないように思った。


今後も、おそらく誰かに名刺を差し出される機会は、多くない頻度であるかと思うのだけれど、上記のような状況で、少ない物で効率重視で暮らしている旨を誠心誠意伝えれば、案外大丈夫なのではないかと思っている。


フリーランスにも、様々な職種の人がいるので、対面式の営業をがっつりやって、名刺をしっかり相手に渡しておく必要があるケースももちろんあると思う。


しかしそこは、ケースバイケース。私は私。


更に言えば、インターネットの利便性がこれだけ普及し、今後も今以上に普及・浸透していくことを想定すると、名刺はもはや「マストアイテム」ではない、と今回の面談の後で、改めて感じた。


私自身、名刺の有る無しよりも、話の内容の良し悪しで、仕事の依頼を決断してくれるビジネスパーソンとの方が、相性が良いと思うので、そういった方々と一緒にクオリティの高い仕事をして、相互信頼関係も高めていければと思っている。


結果として、名刺は手放してしまって支障はなかった、というのが、n=1の私の今回の出した答え。


初対面の名刺の有る無しは、お互いの価値観のすり合わせという点で、リトマス試験紙のような役割を果たすのだと思う。





今年の四月に、生活のミニマル化を目指して、物を減らし始めたばかりのころに、それまでキッチンで使っていた食器用の水切りかごを手放してみたことがあった。


その代わりに、ニトリの水切りマットを購入して、代用してみた。

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デザインや色も好みのもので、買った当初は、これで一つ物が減った!とウキウキしていた。


そしてしばらくの間、食器を洗った後は、このマットの上に食器、鍋類を並べて、拭いてからしまう、という生活をしていた。


しかし、水切りかごを無くした当初は、物を減らすという意味での生活のミニマル化に気持ちが集中してしまっていて、自分のズボラ根性をすっかり置き去りにしてしまっていた。


水切りマットだと、洗った直後にお皿を拭いて食器棚にしまってしまわないといけない。そして、お皿を拭いたふきんも、マメに(通常の洗濯物とは別個に)洗って、乾燥させておかねばならない。


マットもびしょびしょになるので、いちいち洗って、乾燥させなければならないという手間が増えてしまう。


食事は1日3回するものだし、雨の日などマットが渇かずに不衛生になったりもする。


そんな手間や不衛生さを、やっぱり煩わしく感じるようになり、数週間も経たないうちに、結局元の水切りかご生活へ戻すことにした。


ただ、前回のような大きめのものではなく、なるべく幅が狭く、トレーにたまった水が自然に排水されるデザインのものを選んで、買い直すことにした。


それがこちらの水切りかご。
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横幅が23.5㎝と薄型なので、シンク脇の中途半端なスペースにジャストフィット。
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水がたまらない構造なので、清潔感が保てるし、水捨ての手間も省ける。


何と言っても、お皿をそのまましばらく放置して自然乾燥させることが出来るのが、なにより嬉しい点。


食器用の布巾も、今ではほとんど出番がない。


そして、時々、かごをキッチンハイター等で洗浄して、晴れの日に日干しするなどして滅菌すれば、かなり清潔かつきれいな状態を保つことが出来る。


昨日は、気持ちの良い秋晴れだったので、洗いかごの洗浄と日光消毒を決行した。
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最初は物を少なくしようと気持ちから試みたこの洗いかごの手放し作戦だったけれど、自分の「ズボラな性格」「物を一つ減らすこと」と天秤にかけ、物を減らすよりも手間を減らした方が、自分にとっては快適に暮らせるのだ、という気づきを得ることができた。


それだけでも、今回の水切りかご買い直し体験は価値あるものとなった。


結果的に、手間要らずタイプの水切りかごを入手できたので、実際に古く大きく使い勝手の悪いもの手放したり、マットを買ったりして試行錯誤してみて良かったと思う。


食器類は、一定時間ほっておけば勝手に乾いてくれるので、今後も自分は放置乾燥方式でキッチン家事のミニマル化を進めていくつもりだ。

頭の中で描いていたことも、実際にやってみないと、自分に合っているかというのはわからない。そんな学びを水切りかごから得られた。





昨日、迷いに迷ったあげく、ようやく手放す決断が出来たものがある。


それは、ずいぶん前に子ども用に買ったイヌの抱き枕。
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長い間、子どものベッドに飾っておいたのだけれど、ぬいぐるみも含め、子どもの物がどんどん増えていき、行き場を失い、結局リビングのソファーの上や、私のデスクの上、和室の隅っこなどなど、いろいろな場所を転々としてきた。


サイズ的に抱き枕として機能しないことと、子ども自身が「要らない」宣言をしたことで、ずっと前から「これ、もう手放してもいいよなぁ」という判断は自分の中で出来ていた。


ただ、かわいいが故に、捨てるのが忍びなく、なんとなく手放せずにいた。


そして、日々の手放し品パトロールの際にも、毎回目には留まっていたのだけれど、その都度、ワンコへの愛着からなかなか最終決断出来ずにきた。


でも、結局堂々巡りで、使っていないし、子ども自身も要らないと言っているし、微妙に場所を取るし人からのプレゼントというわけでもないので、やはり、この辺りで白黒つけねば、という感じで、後ろ髪を引かれるような思いと共に、ようやく手放す決断に至った。


この抱き枕、何度も何度も洗濯してきたので、首輪がボロボロ。
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でも、でも抱き枕自体は、お値段以上のニトリ製なだけあって、破れたりほつれたりはしていない。


なので、捨てる正式な理由がなかった。これも、手放しが遅れた一つの大きな要因。


破れたり、汚れたりしていない、かわいいワンコを捨てるのは忍びないという思いが先行し、捨てずに転売も考えたのだけれど、もし自分だったら、10年もののUSEDの抱き枕をわざわざ高い送料を払ってまで買うだろうか?と考えてみた。


ヤフオクで、「ニトリ」、「抱き枕」を中古限定で検索してみたところ、やはり出品はゼロ。


自分ならば買わないだろうし、きっと買う人もいないだろうと推測して、転売をあきらめ、潔く捨ててしまうことにした。


今回の処分の決断は、これまでの約4か月の手放し活動の中でも、一番悩み、苦しんだと思う。


これまで手放してきた物の中でも、ここまで捨てることをためらったものはなかった。


そして、その理由を考えてみた。


もし、この抱き枕が無地だったり、かわいい動物モチーフでなかったらどうだったろう?


使っていないし、誰からも不要と判断された時点で、簡単に手放せたのではないだろうか?


特に、私は過去に4匹も犬を飼った経験があるので、「犬」というデザインの対象に弱いのかもしれない。

これが、パンダやユニコーンなど、自分とは遠い存在をモチーフにしたものだったら、意外とあっさり手放せのではなかろうか。


そう考えたら、小型のものはさておき、抱き枕などの比較的場所を取るものを購入する際には、「親しみを感じやすい動物」のデザインだったり、「親近感を伴ったかわいさ」を感じさせるようなものは、捨てる時に苦しむ可能性があるので要注意だと学んだ。


今回のことを念頭に、自分の弱点(過去に飼育経験のある動物モチーフのデザインのもの)を考慮しながら、新たに物を買う際には、将来訪れるかもしれない手放しの際の苦しみにまで想像力を及ばせて選んでいこうと思う。


「かわいい」というのは魔法であり、誘因性が強く、必要以上の愛着を持ちやすいということを意識するだけでも、今後の物選びの際、将来の苦しみ回避という点で役立つのではないだろうか。


物との距離感が近すぎる人の場合は、あえて、かわいさからも少し距離を置いて選んでみるのが良いのかもしれない。


そんなことを、今回このワンコの抱き枕は教えてくれた。


良い先生に卒業のお礼を言うように、このワンコは別個のビニール袋に入れて、他の家庭ごみと混じらないように送り出した。これが、せめてものこれまでの感謝・愛着の印であり、ささやかなはなむけだと自分に言い聞かせている。


ああ、つらい別れだった!








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今年の春、物減らし活動を始めた初期の頃に、トイレマットとお揃いの蓋カバーをトイレから取り去った。


ミニマルライフへの勢いに乗っていたので、抵抗なく無くせたし、その後も不便なく暮らせている。


ただ、この取り去りの際に、トイレマットと蓋カバーを「捨てる」のではなく、「取っておく」という方を選んだ。


理由は、このトイレマットセット、引っ越ししたての頃に母が私に相談なくどこからか買ってきて、トイレに勝手に設置してしまったもの。


4月の時点で、その母が、この夏1週間私のところに滞在する予定がわかっていたので、捨てたらマズいことになるかもしれない、と思い、処分を踏みとどまった。


母は、自分が気に入らないことに脊髄反射で怒りを表すようなタイプの人なので、母の買ってきたトイレマットを私が勝手に捨ててしまったと知ったら、いろいろ言われるだろう。そう思った。


そうなった場合、母に言い返して火に油を注ぐようなことをすれば、険悪なムードに陥り、エネルギーの摩耗するだけとなってしまう。そう考え、マット類は母の滞在までは取っておこう、と決めたのだ。


そしてマット類は、トイレ上部の収納棚にひっそりと保管していた。


もし自分が母の状況にいたら、とっくの昔に成人した娘の自宅に、娘に相談なく勝手に自分の趣味で物を買い備えることなんて、絶対にしないのになぁ。


こういつも思うのだけど、三つ子の魂百まで、とことわざにもあるように、人の性格は、本人が意識して変えていこうと努力しない限り、なかなか変わるものではないんだろうと思う。


母に対して人格否定的なことを、下の立場である私が言うと、ますますメラメラと怒りの炎が燃え上がってしまうので、それは子どもの頃から意識してか無意識にか、いつも避けてきた。


なので、今回、母が泊まりにきた際に、トイレマット類がなくなっていることを母に指摘されたら、すぐに上の棚からマットとカバーを出して、設置できるようにと心の準備を整えておいた。(そして、母の滞在が終了したら、また、棚にしまってしまおう、と。)


こんな微々たる気づかいや努力で、無駄な言い争いや険悪な雰囲気が生じるのを食い止められれば、全然厭わない。このささやかな私の願いで、トイレマット類隠し作戦は実行されるに至った。


そして、8月が到来し、予定通り実家から母がやってきた。


消え去ったトイレマットマットのことを何か言われるかな、とビクビクしながら過ごしたけれど、結局1週間の滞在中、トイレマットについての言及は一度もなかった。


私としては、言われたらすぐにマットを取り出せるよう心の準備はしていたのに、全く「トイレマット」の「ト」の字も出なかったので、ちょっと拍子抜けしてしまった。


思うに、いつも、あれこれ私の自宅内の物のことで干渉してきたり、勝手に物の場所を移動してしまったり、要るか要らないかを私に相談せずに物を買い込んだりする母が、今回の滞在中は大人しかったのは、もしかすると、8月の初めに私が実家に帰省した際に、折に触れて、


「物を減らしている」


「断捨離している」


「生前整理し始めている」


「物は極力買わないようにしている」


と、母の前で繰り返し口に出していたからかもしれない。


私は、実家の母の大量の不要物を、母自身が元気なうちに自主的に減らし始めて欲しい、という気持ちから、そういったことを遠回しに言うことで、母自身に持ち物整理を促したつもりだった。


(でも、母は、私の自宅滞在中も、相変わらず衝動買いをたくさんして、大量の荷物と共に去っていった。なので、あの分だと、生前整理を開始してくれることは、現時点では期待できない。)


おそらくそういった事前の私の「物要らん発言」が功を奏して、母は今回の滞在中、取り去られたたトイレマット類に関して何も言わなかったのだろうと思う。


心の中では、「(娘は)何故トイレマットを無くしてしまったんだろう?」と思っていたかもしれない。


でも、それを口に出すことは結局なく、私の取り越し苦労に終わった。


予防策として取った私の「物減らし中発言」の数々が、母の干渉を抑制するという効果をもたらしたのかもしれないと思うと、前の段階でしつこいくらい「娘は生前整理中モード」をアピールしておいてよかった、と思う。


私は母とは違い、平和主義なので、なるべく、無駄な言い争い(特に世代間や、男女間、人種間の価値観の違い等で生じる軋轢)は避けて暮らしたいと思っていて、争いが生じそうになったら、極力回避する方向でいつも行動している。


なので、今回の「物減らし宣言」は、我が家の火種を一つ取り去ってくれた可能性があるので、やった甲斐があったと思う。


私の第一目的である、母自身の生前整理への効果は残念ながらなかったけれど、それでも、ミニマルライフ転向アピールをすることで、副次的になんらかの効果が得られたようなので、アピールするということは大事なんだな、ということを改めて学んだように思う。


昨日の朝、晴れ晴れとした気持ちで、曰くつきのトイレマット類と正式にサヨナラすることが出来、ほっと胸をなでおろした。







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